日々成長していくためのブログ

雑記ブログ。日々新しい発見をして、考えをまとめていきたい。

食材を上手に購入するためには

食材を買うためにスーパーに寄って、以前の記事の通り、極端には食材にこだわらないようにしたら、買い物が以前よりはスムーズにできた。それでもまだ30-40分くらいかけており、時間がかかりすぎていると感じている。

 

買い物を振り返ってみると、食材に拘ったり拘らなかったりして、同じところを往復している自分がいる。小麦類は体に良くないと信じているが、手頃で調理が必要なく簡単に食べられるパンを朝食にしたいと考えている僕は、パンコーナーに行っては引き返して、朝食はやっぱりヨーグルトにしようか、それともバナナにしようか、はたまた今まで通りお米にしようか、ぐるぐる考えている。

 

このような右往左往状態に陥らないために、買い物のような失敗しても取り返しがつくようなことについて、最初に決めたことを貫くようにしよう。今日はパンを買うかどうか、予めスーパーに入る前に決めておいて、そうと決めたら今日はもうパンを買わない、という具合である。皆もよくやっているであろうが、予め何を買うのか、メモをとっておいてから買い物に行き、決めたもの以外には手を伸ばさない、という工夫も必要であろう。

 

余談だが、購入したパンは朝食だけでなく間食としても気軽に食べられてしまうものであり、実際に間食をしてしまった。間食になってしまうぐらいならば、僕はパンを買わないほうが良いのだと思う。

会話力、研究力。

人と会話をしていて、相手の話している内容を正確に捉えることがすぐさまできないときがある。今日も同僚と会話をしていて、同僚が明日スーパーに寄ると言った時になぜ明日スーパーに寄るのかとすぐに分からず間違った想像を働かせたり、スーパーのレジの人と話していてうまく相手の言っていることを汲み取れなかったりということがあった。もともとコミュニケーションは得意ではないが、改善していきたいとは常々思っている。どう改善していけば良いだろうか。

 

普通の雑談でも、人と話すときには考える間があまりなく、スピードが要求される。考える時間が十分にあれば、うまく想像力を働かせて適切な返答をすることができるかもしれないが、そうもいかない。瞬時に適切な想像力を働かせる訓練が必要なのだと思う。

 

そのような訓練としては何が良いか?すぐに思いついたのは、ラジオでニュースを聞いて耳で得た情報だけから内容をイメージする訓練や、速読をして内容をすばやくイメージしていく訓練である。極力、イメージが必要となり、想像力を働かせる時間が短い訓練が良いのだと思う。

 

瞬時にイメージを働かせなければ成立しない人との会話力は、人間関係を深めるためにはもちろんのこと、一人で絶えず自問自答し続ける研究においても武器になるのだと考える。先の記事では疑問を持ったらその疑問に根拠を持って返答していくのだと言うことを書いたのだが、すばやく正確に疑問を把握してそれに答える能力があれば、仕事をすばやくこなすことができるであろう。

 

ああ、会話力が欲しい!まずは積極的に人と関わっていくことからはじめなくては。ただ必要なのはそのための勇気だ。言い訳はいらない。

生じた疑問については根拠を持って返答していくこと

仕事をしている時に、次々と生じる「なぜ?」に、丁寧に答えていない時があり、反省している。

 

今日は、自分で作った計算の初期条件からうまく計算できているかどうかを調査していたのだが、どうも思ったように計算できていない、なんでだろう、と疑問を持っていた。この疑問に対し、きっと初期条件がうまく作れていないからだ!と根拠なくよく考えずに、初期条件をうまく作ろうと躍起になっていた。実際に問題だったのは、作成した初期条件を置くフォルダの場所であり、初期条件自体はうまく作れていた。このことに気が付かず、初期条件をうまく作ろうと何度も繰り返し初期条件作成コードをいじっては作って計算を流す、ということをしていたために、本質的な原因に気がつくまでに時間がかかってしまった。

 

このことからの教訓は、生じた「なぜ?」を明確にして、それに対してその都度じっくり考えて適切に答えていくことが結果的に時短になるのだ、ということだ。問題の解決を焦ってすぐに疑問に対する根拠ない返答をするのではなく、一旦落ち着いて、どうすれば問題を解決できるのか、根拠を明らかにしてから問題解決のための取り組みをしていきたい。

過去の自分との競争

競争相手は常に過去の自分であると考えている。確実に成長を望めるから。

 

僕はどうしても他人との競争が好きになれない。他人と競争をして、それで他人よりも優れていたら、果たして自分の幸福につながるか、と考えてみると、短期的な満足感は得られるだろうなとは思うのであるが、長期的には、他人を超えて、それでどうなのかと思うところがある。

 

過去の自分との競争は良い。それは自己の成長を促すための考え方であるからである。オリンピックの金メダリストを想像すると、彼らの多くはきっと過去の自分と競争をしているのだと思われる。より高みを目指して、日々の訓練を行っていることであろう。

 

より確実に自己を前進させるために、他人との競争ではなく、自分との競争を意識していきたい。

思考の断捨離

情報の断捨離について考えたが、これは入ってくる情報をうまく取捨選択して、脳を情報過多により混乱させないようにしようという習慣だと考えている。

 

しかしこれだけでは不十分だと、情報断捨離をして数日の今日感じ始めている。自らのうちから湧く雑多な念により、「今ここ」に居留まることができないと感じることが頻繁にある。研究をしている時や絵を描いている時に、過去にあった苦い思い出や、未来への不安が巡り巡るのである。このような、「今ここ」でやっている創造的な活動とは無関係の雑念をなくすためにはどのようにすればよいだろうか?

 

思考の断捨離を行えば良いと考えている。これは、クリエイティブな活動をしている時(そうでないときでも必要であれば)、瞑想状態を維持するために、雑念が生じたらそれに気がついてすぐさま「今ここ」に立ち返るようにする習慣と考えている。雑念という、自分に必要のない思考を断って捨てて離すのである。

 

情報の断捨離と思考の断捨離の両方を身に着けて、クリエイティブライフを充実させたい。

情報断捨離をする

やりたいことを見出すためには、断捨離をすれば良いと思っていた時期があったが、少し思い違いをしていたようだ。確かに断捨離をして、身の回りのものをすっきりさせれば、自分にとって不要なものが視界に入る頻度が下がり、自分の思考や気持ちの方に意識が向きやすくなるのだと思う。そのような思考から、これだと思うものが湧いてくるのかもしれない。しかしながら、僕の場合は断捨離をしてもこれだと思うものになかなか出くわすことがなかった。なぜか。僕はよくアニメを見たりネットサーフィンをするが、これらから日頃絶えず入ってくる大量の情報により、思考が自身へ向きにくくなっていたのだと考えている。何かに一心に夢中になるのは良いことだとは思いつつ、アニメやネットから入ってくる刺激を受け続けることが自分のやりたいことかと考えると、そう思わない。そう思うので、ここ数日はアニメは見ないようにしている。ネットについては、仕事上ネットを使わないわけにはいかないので、不必要な情報に振り回されているなと気がついた時点でネットサーフィンを止めるようにしている。

 

僕が本当にやりたいことは何かなと考えると、研究と最近はお絵かきである。料理にも最近ハマりつつある。想像力を使って、創造的であることをやりたいのだなと、情報の断捨離をここ数日して気がついてきた。しばらく様子を見て、情報断捨離を続けていきたいと思っている。

食材を迷わずに買いたい

食材を買いたいと思って、スーパーに立ち寄るのだが、全く何も買うことができずに退散してしまう、ということが時々ある。なぜこうしたことが起きるのか?それは、食材の質や添加物、食の安全について過度に気にしすぎているからだ。チーズやハムを買おうとする時には必ず裏面を見て添加物を気にして、少しでも不安があったら買わない、ということをしているのである。我ながら、情報に囚われすぎているのではないか?と思うところがある。何も食材を買えなかったために、「今日は外食にしようかな」という気持ちになってしまう。

 

このような事態になることを防ぐためにはどうしたらよいか?まず過度に食材にこだわる癖に気がついて、意識的にその癖を克服していくことが必要である。ある程度は気にしたほうが良いとは思うが、何もすべて添加物無添加であることが明記されているものを買わなくても良い。ああそうか、これは食を完璧に安全にしたいという完璧主義の現れなのだ。無意識のうちに、安全でなければならない、というベキ的思考に陥ってしまっていたのだ。このようなベキ的思考で、自らを疲弊させていては、食の安全を確立する前に精神をすり減らしてしまいそうだ。もう少し気楽に考えて、買いたいものを買って、食べたいものを選べば良いのだ。

 

外食も完全になくすのだ、という完璧主義的思考はやめて、たまには外食でいいや〜くらいの気持ちでいたい。今日はあれ、食べたいなと思ったら、食べればよいのだ。

 

自らの意志を大事にして、できることであるならばその自分の意志の思うままに行動していきたい(節度は守って)。