曖昧な表現ばかり使っている。
今日の感謝すること。
・食べたいものを食べられる環境に感謝である。
・仕事に集中できていることに感謝である。
・自分の時間をたくさん確保できていることに感謝である。
たくさん食べてしまうのは、寂しいから"かもしれない"。
さらに、食べ物が沢山用意されている場所によく出かけるから"かもしれない"。
食べ物が豊富にある環境にいると、自分でも気が付かないうちに、沢山食べるようになるの"かもしれない"。
頻繁にスーパーに出かけて、食べ物を買うのだが、意識的に食べ物を買う量を抑えると、食べ過ぎを防げる"かもしれない"。
旅行にでかけているときには、新しい場所に意識が向くので、食べ物のことをあまり意識しないので、食べ過ぎを防げている"気がする"。
自分はいつの間にか曖昧な表現を多用している。
「気がする」「かもしれない」「と思う」をよく使っている。
断定を避けることで、大きい責任が自分に掛かるのを防いでいたり、間違ったことを言った時に言い逃れられるように予防線を張ったり。
しかし曖昧に表現するのはやっぱり必要だ"と思う"。
人間いつ間違ったことを言ったりするかわからないものだ。
しかしはっきり確信を持っていることに対しても曖昧な表現を使うと問題になる"と思う"。
自分でも、曖昧な表現ばかり使っていると、確信を持っていることがはっきりしてこなくなって良くない"と思う"。