ブログの更新や食事のマンネリ化について
ブログの毎日更新が途絶えがちである。
なぜか。
ブログ更新のための時間割のコマを設けていなかったために、度々ブログのことを忘れてしまっていたのである。
そこで新たにブログ更新のための時間割のコマをつくることにした。
自分の自炊料理に再度飽きてきてしまっている。
なぜか。
味付けのバリエーションが足りていないことと、食材のバリエーションがまだ足りないこと、調理法を以前から工夫していないこと、一品料理が多いこと、料理のバリエーションも少ないこと、などなどが原因として考えられる。
結果、外食をしたいと思い浮かべてしまう。
食事の満足度も足りず、結果食べすぎてしまうこともある。
どうすればよいだろうか。
凝った料理を作るようにすれば良いと、頭で分かっているが、「凝った料理」とは何であろうか。
雑誌や本を見て、料理について調べる習慣を付けて、「作りたい!」と思えるような料理を探していきたい。
仕事と休憩のメリハリをつけよう
少し気持ちがたるんできた自覚がある。
時間割通りに行動してはいるのだが、若干それぞれのコマの開始と終了時刻が5-10分ほどずれるのを許してしまっている自分がいる。
また、休憩時間にしっかり休憩を取らずに次のコマに影響してしまっているときもある。
なぜ時間通りの行動ができていないのか?
最近ある仕事に夢中(とりこ?)になっていて、その仕事を進めよう進めようとして休憩時間に仕事したりしてしまっているのだ。
仕事と休憩のメリハリがうまくいっていないために、休憩時間後のコマに影響が出てしまって、開始時間や終了時間にずれが生じてしまったのだ。
その仕事に一区切りができたので、一時その仕事から離れてみよう。
別の仕事をするようにして、時間割通りの行動をしてメリハリを取り戻していこう。
時間通りの行動をして、自制心も強化していこう。
相手の言葉や行動の意味を汲み取るように心がける
相手が何か言ってきたときは、それを言ってきた意味を考えるようにしたい。
相手が言葉を発する時、言葉のそのものの意味以上に、相手の思いが言葉に込められているものである。
その思いを汲み取って、適切な行動を心がけるようにしたい。
相手の行動にも、行動以上の意味が込められていることが多い。
一見、相手の行動の意味がすぐに理解できないことがある。
しかしながら、すぐに理解出来ないとしても、じっくり考えて、相手の思いを汲み取る努力はしていきたい。
ストレスを味方に付けたい
ストレスを与えてくれる人たちに感謝している。
仮に自分にストレスを与えてくれる人がいなかったとしたら、自らの精神的な弱さを強めるきっかけが減ってしまうから。
自分がストレスを感じるときは、自信の考え方や受け止め方に問題があるのかもしれない。
他人になんやかんや言われた時、その人が自分を鍛えるために「ストレスを与えてくれる」のだと、考えるようにしたい。
何故人になにか言われた時にストレスを感じるのだろうか?
僕は、一度ある特定の人に何か言われた時には、シュンとしてしまうことが間々ある。
そのシュンを引きずってしまう傾向がある。
その人に再度会う時に、「また何か言われるのではないか」、「何かされるのではないか」と、未来への不安に駆られてしまって、シュンが長引いてしまっている。
この長引きがストレスになっているのだ。
そして、シュンを長引かしてストレスをためただけで、未来には特に何も起きないことがしばしばである。
現在は何も問題はないのだし、未来のことは分からないのであるから、未来について悩んだり不安になったりすることをやめていきたいと思う。
ストレスフリーな生活を営んでいこう!
外食したいと思い浮かべてしまうのはなぜか
ここずっと外食をせずに自炊しているが、今日は外食しようと思い浮かべてしまった。
外食してもよいが、せっかく自炊をずっと途切れなく継続してきたので、このまま継続させていきたいと考えている。
何故外食したいと思い浮かべてしまったのだろうか?
最近外食について考えていなかったのは、時間割を決めて生活をしていて、生活に締まりができていたからだと考えている。
外食について考える暇もなく忙しくしていたのである。
今日も時間割通りに生活をしていたのだが、毎日行っていることのマンネリ化を少し感じたところがある。
このマンネリ化により、脳が「飽きた」と感じてしまって、新しい刺激を求めた結果、「そうだ、外食しよう!」という考えに至ったのだと思う。
外食することを思い浮かべてしまった時には、新しい刺激が不足しているのだと思う。(以前、外食しまくっていたときも、生活のマンネリ化が起こっていたことを思い出す。)
外食したいという欲望を鎮めるには、他の新しい刺激で代替することが効果的であろう。
他の新しい刺激として何が考えられるか?
例えば、最近料理がマンネリ化してきている。(毎日ほぼ同じ食材・メニュー・・・)
料理にバリエーションをもたせることが考えられる。
以前と比べて、調味料を増やしてみたり、いつも買わない食材を買ったりと、工夫をしているのであるが、調理法のバリエーションが少ないので、調理法を工夫してみたいと思う。
Fortranコードの指数表記での数値の出力について
Fortranのwriteで、指数表記の数値を出力した時に迷ったこと。
例えば
implicit none real*8 :: a=1.0e-10 a=a**10 write(6,'(1p,e13.4)') a end
というコードを書くと、出力が
1.0000-100
のようになり、指数を表すEが消えてしまう。
多量の数値データをFortranコードからファイル出力して、そのデータをpythonのnumpy.loadtxt()で読み込もうとしたのだが、以下のようなエラーが出てしまった。
ValueError: invalid literal for float():
対処法としては、
・数値データを出力する時に、極端な値を回避する。
・numpy.loadtxt(fname,dtype=np.str)のように、dtypeを文字列にする。問題のない数値は通常通りfloat()で数値に置換する。1.0000-100のような例外的な文字列を別個に扱う。
自制、前頭葉鍛錬、瞑想について
時間割を決めて、その時間割に従って生活していると、生活にリズムができてきて、ストレスを感じにくいことに気がつく。
自制力も身についてきていると感じている。
昨日のDaiGoさんの本にも書いてあったが、自制をすることによって、前頭葉が鍛えられるそうだ。
前頭葉は人間らしい活動、クリエイティブな活動をする際に活性化する。
なので、前頭葉を鍛えていくことによって自己の生産性を高めていくことができるだろう。
もっと前頭葉を鍛えたい。
どうすればよいか?
上の本によると、瞑想をすることでも前頭葉を鍛えることができるそうだ。
呼吸瞑想はすぐに簡単にできるので、生活に取り入れていけたらなと思う。(以前にも書いたような。)
他にも、自己の感覚に意識を向ける瞑想もある。
歌を歌っている時に自分の声質や喉の動き、腹筋の動きなどに注意を払うことも、瞑想の一種なのだと思える。
筋トレでどの筋肉を使っているかに集中するのも、一種の瞑想なのだろう。
自己鍛錬と組み合わせて、瞑想を生活に取り入れるのもいいかな。