「やりたくない」をどう対処するか?
ここ数ヶ月、朝起きてジョギングを20分ほど、毎日欠かさずしている。
「毎日欠かさず」ということが、精神面に良い影響を与えてきていることに気がついた。
やると決めたことについては、何の精神的な滞りもなく、自動的にできるようになるのだと、気がついた。
体が勝手に動くのである。
この体験から、何かを「やりたくない」という感情が、やらないために自ら生んだ感情であるのかもしれないと、身をもって学んだ。
とは言いつつ、日中や夕方、疲れてくると、「やりたくない」という感情が生じてしまうことがある。
Q: 「やりたくない」と思ってしまった時にどう対処すればよいか?
A: やる気がでる工夫をする。
例えば、
・作業興奮を起こすために、とりあえずやりだしてみる。
・やりだして、しばらくしてそれでも「やりたくない」と思うようであれば、一度別のことをして、しばらくしてから再度やってみる。
・「やりたくない」と頭の中で思わないようにする。瞑想をして心を無にしてから、再度やってみる。
・甘いものを食べたり、成し遂げたいことを思い浮かべたりして、ドーパミンを出すようにする。
日中常に何かに取り組むことによって、「やりたくない」と思う暇をなくすようにして、充実した毎日を送ろう。
オキシトシンとテレビ・動画視聴と、子供とのコミュニケーションについて
日がなぼーっとしがちである。
セロトニンやオキシトシンの分泌が足りていないのかも知れない。
テレビや動画にハマっていた時期があったが、あのときはウキウキした気分になることも少なくなかった。
映像を介して、擬似的に人と触れ合う感覚を得ることで、オキシトシンが放出されて気分が良くなっていたのかもしれない。
テレビや動画にハマりやすいのは、オキシトシンが関係しているのではないかと思う。
好きな芸能人や明るい人が出る番組を見ると、それだけで気分が上がってきて、気分が良くなるのだ。
逆に、テレビや動画にハマって、近しい人とのコミュニケーションやスキンシップが疎かになってしまうと、現実の人間関係に支障が出てしまうだろう。(言わずもがな)
仮に自分が子供を持っているとして、テレビや動画ばかり見て子供とのコミュニケーションを疎かにしていたら、子供の将来の対人能力に支障をきたしてしまうと思う。
子供を育てる場合には、子供とのコミュニケーションを大切にしていきたい次第である。
なぜ思考しているときに焦ってしまうのだろうか?
仕事をしていて、考えが上手くまとまらない時に、焦ってしまうことがある。
Q: なぜ考えていて焦ってしまうのだろうか?
A: 一つの疑問について答えを得ようとしている時に、また別の疑問が生じてきて、さらにその答えを得ようと考えが移り、さらにまた疑問が浮かび・・・という連鎖が起きてしまっているから。
これにより、一種のパニック状態になってしまう。
ではどうすればよいかというと、考えに取り組む疑問が常に一つになるように気をつけるようにする。
一見簡単なように見えて、僕にとっては、工夫をしないとなかなか難しい。
僕が行っている工夫は、一つ疑問が湧いたらそれをノートに書き出しておいて、その疑問に答える(あるいは後回しにする、答えないと決める)まで、次の疑問が浮かんできても考えないようにすることである。
これにより、一つの疑問に落ち着いて取り組むことができるようになった。
一見非効率に見えるが、この工夫で実際精神的に落ち着くようになってきたし、仕事がどの程度進んでいるかも視覚的に見やすくなった。
今後もこの調子で、ノートに疑問を書いて、焦らないようにしていこう。
無感情になってしまうのはなぜか?
夕方くらいになると、ボーッとしてきて、集中力がなくなってきてしまう。
無感情に近いような感覚。
ここ3日くらい、毎日この現象が現れている。
Q1: 何故、無感情になってしまうのだろうか?
A1-1: 幸せホルモンのオキシトシンが不足している。
この現象が起きる前、日常系アニメをよく見ていた。
しかし、ここしばらくの間、アニメを見るのに制限をかけている。
日常系アニメを見たあとは、(少なくとも現在より)気分が上がっていた。
人と人とのふれあいを(擬似的にも)感じたり、物語に感動したりすることが、僕の気分に影響していたと思われる。
聞くところによると、人との触れ合いや、感情を素直に出すことなどによって、オキシトシンという脳内神経伝達物質が放出されるされるようだ。
このようなことから推測するに、僕はオキシトシン不足に陥っていたのかもしれない。
Q1-1: どうしたら無感情な感覚になることから脱出できるか?
A1-1-1: 好きなものに毎日触れるようにする。
昔、好きなキャラクターがいて、毎日のようにそのキャラクターを見たり描いたりしていたのだが、その時期には辛いことがあっても、今のように無感情になることはなかった。
毎日、そのキャラクターと触れ合ったことで、安心感を得ていた。
想像では、そのキャラクターと触れ合うことで、オキシトシンがたんまりと放出されていたのだろう。
単純接触効果があると言われるように、あるキャラクターとの「毎日」の触れ合いで「好き」を深めていけば、昔と同じような安心感を得られるのではないだろうか。
好きなキャラクターを持って、毎日見たり描いたりしよう。
浪費時間を少なくするためには?
「今日の夕飯はどうしようか」「いつ髪切ろう」といった問いに時間を多く取られてしまっている自分がいる。
このような毎日の些末な問いへの積み重ねで、時間の浪費をしてしまっている自覚がある。
より自分を成長させていくためには、極力このような浪費時間を少なくしていきたい。
Q: 浪費時間を少なくするためにはどうするか?
A: 上記のような、重要な決断が必要でない問いについて、決断を速くしていく。
僕は優柔不断だと自覚している。
一度悩みだすと、悩み続けてしまう癖があるのだと思う。
「問い」が生じた時に、すばやく決断が可能なことかどうか、まず判断してみる。
(いきなり大きな決断をすばやくするのは、精神的に負担であるのだから、小さな決断からすばやくしてく、という意味を込めている。)
「いつ髪を切るか」といった日常の問いには、素早く決断できるはずである。
仮にその決断が失敗だと後で気づいても、すぐさま軌道修正可能である。
失敗しても良いようなことから、まず決断をすばやくしていこう。
大きな決断は、小さな決断で慣れてから、するようにしよう。
時間の浪費を止めるには?
最近また、時間の浪費をしてしまっている感覚がある。
(毎日ノートをとっていると、大まかに何にどれだけ時間を浪費しているかが分かる)
Q: どうしたら時間の浪費を止めることができるだろうか?
A: 時間の浪費が悪習慣になってしまっているので、その悪習慣を断ち切る。
時間を浪費している時にしていることは、毎日決まっている。
僕の場合は以下のことに時間を取られている自覚がある。
・動画やアニメの長時間の視聴
・不必要なネットサーフィン
例えば、ネット通販する時に、「あれ買おうか、でもやめようか」と、堂々巡りして、時間を使ってしまっている。
・不必要な思考
例えば、「そろそろ髪切ろうかな、でもまだいいかな」と、優柔不断になって時間を消費してしまっている。
・間食や過食
食べる時間が長くかかってしまう。間食で調理する場合、調理自体に時間がかかるし、食器の洗浄にも時間が取られてしまう。
習慣になってしまっているということは、毎日やることが自動化してしまっているのである。
悪習慣は思い切って断ち切ってしまおう。(言うは易し、行うは難し・・・)
悪習慣を、良習慣に置き換えてしまえばなお良いだろう。
(英語のリスニング、等)
時間を自分の成長にあまり関係のないことに使うと、それだけ自分の成長のために使える時間が少なくなってしまう。
それのみならず、時間を浪費した分だけ、脳が疲弊してしまうだろう。
例えば、動画の視聴は、視覚と聴覚を一生懸命使う活動である。動画を視聴した分だけ、脳は疲れてしまうだろう。(変化の激しいようなテレビやアニメの視聴も同様)
(自戒&脱線:もっと言うと、動画の視聴時は(意図的に動かさなければ)ほとんど体を動かさないために、身体に良くない。長時間の動画の視聴は運動不足にも繋がってしまうのだ。仕事がデスクワークなのであるから、休憩時間は体を動かすようにしたい。)
自分の成長に関係することに、思考を巡らせ研ぎ澄ませていこう。
なぜうまくしゃべることができないのだろうか?
人と会話をする時に、しばしばパッと言葉が出てこないときがある。
言葉が出てきたとしても、それが自分の本心を表していないときがある。
何か話したら、相手にすぐ否定され批判されることがある。
Q1: 何故うまくしゃべることができないのだろうか?
A1: 会話の経験不足。
「うまくしゃべることができない」という失敗体験を積み重ねることによって、脳の扁桃体が「しゃべること」に対して恐怖心を生み出すようになる。
「僕」はこの恐怖心に対して過剰に反応してしまっている。
そのために、対人でしゃべる時に言葉が出にくくなってしまっている。
恐怖心は、自分が起こしているのではなく、脳が起こしているのだと考えるようにして、恐怖心をスルーできるようにしていこう。
東洋哲学の考えが役に立ちそうだ。東洋哲学では、「起こるものは起こる」と考える。
不安は「私」が起こしているのではなく、「起こっている」のだ、と考えるようにして、スルーしていきたい。
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僕は言葉をしゃべる時に、変なことを言ってしまうことを恐れている。
本当に言いたいことをうまく言葉に表現できずにいる。
それでも何とか言葉にして口に出すと、(ノンバーバルな部分は今は考えないとして)相手には基本的にその言葉の意味どおりのことが伝わる。
そうすると、もとの「言いたいこと」が間違って相手に伝わってしまうことが間々ある。
Q2: 間違って相手に伝わらないようにするには?
A2: 発する言葉を洗練させる。
使う言葉、言う言葉に常に注意を払って、相手に誤解されないように伝える気遣いをしていく。
僕は細部を端折って言葉を発することが間々ある(と人に時々指摘される)。
また、意味を取り違えて言葉を使ってしまうこともある。
わざとわかりにくい言い方をしたりする癖もあるようだ。
まとめ。
うまくしゃべることができないのは、経験不足だから。
うまくしゃべるようにしていくには、会話で経験を積んで、できれば成功体験を重ねていく。発する言葉を洗練させていく。
(まとまりがイマイチ 汗)