日々成長していくためのブログ

雑記ブログ。日々新しい発見をして、考えをまとめていきたい。

絵描き初心者が絵を上達させるために考えたこと

最近はじめた趣味の人物絵を描く時に、どうしたら上達できるかとよく考える。人物絵では、顔と体の骨やパーツを意識した描き方といった、基本的な知識を身に付けた後は、

  • 何でも描いてやるぞ!という気概を持つ
  • 描く数をこなす
  • 一個一個の絵は考えながら丁寧に描く
  • 面倒臭がらず、最後まで描く
  • 身につけた知識を骨身にするために、段々と細部に拘っていく
  • 時にはひとつの被写体を何度も描くことで、描くたびに自分で考えた悪い部分を修正していく

ことが上達に結びついていくのだと考えた。

 4つ目の細部に拘っていくことであるが、最初のうちは細部に拘りすぎると、全体がおかしくなってしまうことがしばしば起きるため、「段々と」とした。

自分が経験していない行動につながる選択をする勇気がほしい

今日は海外出張のための旅行計画を立てることに半日ほど時間を使ったのだが、自分が経験していない行動につながる選択を優先的にして自分の成長を促す、という考えをしっかり持っていれば、計画時間を短縮できただろう。

 飛行機の予約をすることを例として考えてみる。今日僕は、直行便にするか乗り継ぎ便にするか、日にちを少しずらした方が安くならないか、どの便が良い座席が残っているかなど、色々な考えが錯綜した。なぜこうも考えがまとまらなかったかと原因を探ってみると、自分の過去の旅行計画にできるだけ近く似かよったものになるように計画を立てようとしていたことが挙げられる。言い換えれば、過去に作った旅行計画のテンプレートを、気づかぬ内に現在の旅行計画をする際に使おうとしていたのだ。

 例えば僕は極力トランジットの時間が短い乗り継ぎ便を避けて便を選ぶようにしている。これは、仮に飛行機が遅れて乗り継ぎの便に乗り遅れてしまったらということを懸念してのことである。しかしこれは見方を変えれば、乗り継ぎ時間が短い便を利用するという経験を避けているとも見える。短い乗り継ぎ便を利用する経験をすれば、想定される困難や失敗にどう立ち向かっていくかとあれこれ試行錯誤し、自分を成長させる糧になったはずだ。

 物事を簡略化せず、何事も経験だと、立ち向かう勇気を持っていこう。日常の些細なことでも違和感を感じたら、そこに学びがあるのだと思う今日この頃である。

ゲーム感覚で楽しく日常を過ごそう

少し前に尾原さんの『モチベーション革命』を読んだ。ここでは、人を動かす源として、快楽・達成・意味合い・人間関係・没頭が挙げられている。

 日々のマンネリズムを打開すべく、日常の過ごし方に工夫が欲しいこの頃。そこで日常にゲーム感覚を取り入れることを考えた。ゲームでは、上手に上記の5つの要素を沸き立たせている例が多い。例えば、スーパーマリオ星のカービィのようなアクションゲームでは、ラスボスを倒すという大きな目標を「達成」する。マインクラフトでは建築物を建てることに「意味合い」を見出す。協力プレイをすれば「人間関係」が深まる。タイムアタックで良いスコアを出すために練習に「没頭」することもある。良いスコアが出れば「快楽」も感じられるであろう。他にも色々な例を考えられそうだ。

仕事への応用

まずゲーム感覚で仕事をすることについて考えてみる。ここでは遊び感覚で仕事をするという意味ではなく、仕事の効率・効果を上げるために、ゲームに倣ってうまくモチベーションの源である上記5つの要素を仕事に取り入れていこう、という意味である。

 仕事には、大きな目標がつきものである。僕は研究者であるが、研究では未知の発見をして学問の世界に貢献したり、発見したものを論文や研究発表などで世に公表するという大きな目標がある。これらの大目標を「達成」する過程では、自身の研究分野に近い知識を収集したり、共同研究者や同僚たちと議論を行ったり、数値シミュレーションをして、その結果を解析して図を作ったり、デスクワークで椅子に座りっぱなしで腰が痛くなった時の改善策を考えたりと、多くのタスクがある。

 これらのタスクをゲーム化するために、上記の5つの要素を当てはめてみた。

  1. 小さな目標を達成した時に「達成」感を感じられる工夫をする。例えば、情報収集で読んだ論文の数を記録していって、英語論文(たいてい10ページ前後)を一つ読み終えるたびに、論文読破数を1増やす。
  2. 共同研究者や同僚との「人間関係」を深める知恵をつける。例えば、同僚が良い発表をしたときには手放しに褒めて愛情表現する。共同研究者と議論をする際に反対意見を述べる際にも、真っ向から反対意見を述べるのではなく、まず相手の意見に理解を示しつつ意見を述べる。
  3. どんな小さな仕事でも、自分の成長につながるのだと「意味合い」を見出す。研究に関係のない仕事でも、特別な事情がない限りは引き受けるし、仕事がある場合には自主的に買って出る。「若い頃の苦労は買ってっでもしろ」ということである。
  4.  小さな疑問でも、突き詰めて考える習慣をつける(「没頭」)。シミュレーション結果を解析する時に、まず自分で疑問を見つけて、それにタックルする。自分だけで解決できない時には、同僚や共同研究者に相談する。
  5. 健康に気を使う。常に椅子に座っていると、腰を痛める。休憩は適宜とり、椅子から立ち上がるようにする。散歩にでかけたり、コーヒーを飲んだりして、リフレッシュ(「快楽」)する。

 

以下のブログを参考にした。

hitoribotti.hateblo.jp

 

仕事以外への応用は時間がある時に考えてみたい。

アンテナ張り力と発信力:ブログがあなたの背中を押す

ブログを始めてからというもの、アンテナを張って、何を発信しようかと考えることが増えた。友達と話していたり、動画を見ていたりして、自分の知らないことについての話題が出てくると「もっと知りたい!」と思って、調べるようになった。このようにして情報収集能力が高まっていくのだろうと、身をもって体験している。

情報収集していること

 ブログで何を書けばよいかという疑問も浮かんでくるようになってGoogle先生にお尋ねしたところ、気になる記事を見つけた。書くことを読者のためになるように「調理する」という考えが、昨日の僕の記事で書いた「自分の言葉」で語ることと繋がっている。自分の言葉で語ることで読者の興味を引くことができるのだと、改めて思った。

rentalhomepage.com

上の記事では、記事のタイトルを工夫してまずは人を関心をひくことの重要性も唱えている。昨日読んだ川上徹也さんの『自分の言葉で語る技術』にも見出しの工夫について書かれていた。僕自身今一度タイトルを見直してみよう。堅苦しくならずに気楽に考えてみよう。

 

同僚の話から学ぶこと

アメリカで子育てをしている韓国人の同僚からの話を聞いて、住んでいる場所でも違ってくるであろうが、治安の問題で子供に親が付きそう必要性が高いということを知った。彼は朝、小さい子供たちを車で学校などへ送り届けて(土地が広いため車での移動が必須なのだ)から、仕事に平日欠かさず来ているのだ。子供たちだけ家に残すということもできないそうで、必要な場合には彼は早めに仕事を切り上げて帰宅して子供たちの面倒を見ている。

  僕自身のことを振り返ってみると、僕は親の苦労について、考えているつもりで真面目に考えたことがなかったのかもしれない。今まで子育てをしている人たちの話を聞いていて、大変だなとは思うのだが、どの程度大変なのかまで感情移入して聞いたことがなかった。実際に結婚して子供を持って親になるまで、本当の意味で感情移入することは出来ないのかもしれないが、できる限り彼らの気持ちになって話を聞けるようになりたい。

 より抽象化すると、「人の経験を聞くときは、自分がその経験をしていれば感情移入もしやすいが、経験したことでないと感情移入が難しい」ということを認知した。ここから、「感情移入するためにはどうしていけば良いか」について考える切っ掛けを得た。

 

 

自分の言葉で表現する

文章を書いていてしっくりこないなあと思うことが度々ある。原因の1つとして、「自分の言葉」で表現しきれていないことがあるのではないかと思った。

 思ったことをすっと全てさらけ出せば「自分の言葉」になるか?という疑問が湧く。思っていることでも、慣習的に使っている言葉や他の人から影響を受けた言葉が多くの部分を占めている感覚がある。思考の癖である。これらを「自分の言葉」として捉えることもできるかもしれないが、これじゃない感がある。よく使われるような表現は、印象に残りにくい。何か人の心に届くとうな、響くような、そんな言葉を「自分の言葉」と表現したい。

 どうすれば「自分の言葉」で表現できるようになるだろうか?対策をいくつか考えてみた。

  • まず思考の癖に注意を払う。例えば僕はよく「〜と考える」「〜と思う」という表現を使っていることを自覚している。少し言葉を工夫して、「〜と考え及ぶ」や「〜と思考する」という別の表現を使うことが、思考の癖から脱却するための最初のステップである。
  • 具体例や例えを利用して、イメージが湧きやすい言葉を考える。例えの例として、例えば「この水は熱い」を、「この水はマグマで沸かしたかのように熱い」と表現するといった具合である。
  • 様々な経験をすることはさることながら、そこから学びを得る努力をする。日常でも些細なことを体験していることに気づく。例えば、最近気分が上がらないと感じるという経験をしている場合には、何故そのような気分になるのか、具体的に考察して、どうしたら良くしていけるのか考えてみる。因みに僕の場合は、気分を上げたいときはよく新しいことに挑戦してみたり、好きなことにただひたすら没頭するようにしている。

 

今読んでいる本を参考にした。

自分の言葉で語る技術

自分の言葉で語る技術

 

 

 日々自分の考えを発信していくことで、人に届く「自分の言葉」をすっと言えるようになれたらいいな。

 

 

ストイックさと話題作り

時々、ストイックな人であると言われるのだが、その意味するところについてきちんと考えたことがなかったので、考えてみる。疑問は、僕のどのような部分がストイックであるか、ということである。

 Weblio辞書によると、ストイックの意味は「禁欲的に厳しく見を持するさま」とある。つまり僕は禁欲的な人間であるように見えるということである。振り返ってみると、装飾品を持たなかったり、お酒をほとんど飲まなかったりと、僕自身自覚しているところがある。

 

 今日同僚と会話をしていて、ストイックな性質は人と話す時の話題作りに不利であるのではないかと考えた。同僚が会話を始めるときには、人の身につけているものについての話題から、発展していくことがある。例えば、特別なシャツを着ている人がいて、そのシャツについて話題を振れば、そこから発展してそのシャツの内容についての詳しい話に広がっていくことがある。装飾品をほとんど持たないストイックな生活を送っていると、このような会話の広げ方をする機会を逃してしまう。

 別の例を考えてみる。お酒を飲む場である飲み会では、自然とお酒そのものについての話題になることが多い。その時に「この○○ビールの味はスッキリしていて飲みやすい」とか「△△ビールと比べて、この□□ビールの味は〜〜だ」という会話ができるのは、そのビールについて日頃から親しんでいるからである。お酒をほとんど飲まない日々を過ごしていると、お酒の詳細な話にまで入り込むことが難しい。

 

 それでは、話題作りや会話で不利になるから禁欲的な生活を改めるかというと、そうではない。僕の場合、禁欲的な生活を送ってしまって話題作りや会話で不利な部分は、お酒を習慣づけたり、装飾品を増やしたりして解決するのではなく、幅広く情報収集することによって解決していきたい次第である。要は色んなことに常にアンテナを張っておくということである。

 

 このアンテナを張るということであるが、何にアンテナを張るか、ということについても考えてみたい。情報の取捨選択を試行錯誤していこう。

 

 

 

自らの成長のために挑戦を惜しまない一方、一つのことにも没頭したい

挑戦と心理的障壁

最近はプログラミングコード開発の仕事はさることながら、趣味にも熱心に取り組むようにしている。視野を広げ、色んな経験を積んで、能力を高めたいという意識があるためである。僕は新たな趣味に挑戦する時に、まず自分の内にある心理的障壁を乗り越えようとする。

 例えば昨日のことであるが、ブログを始めようとするときには、自分の情報を発信するようになった場合に想定される懸念が頭の中で渦を巻いてくる。「ネガティブなことを書きたくないな」とか、「プライベートすぎることを思わず書いてしまったら」という懸念である。その懸念を払拭しようと、ネットで下調べをしたりして、自らを安心させようとする。しかしある時点で、いくら心配したところで想定外のことは起きるものだということに気づく。「とりあえずやってみないことには何も始まらない!心配するのは経験がない/浅いからだ」と自らに語りかけ、心理的障壁を乗り越える。

 他の趣味についても始める時も心理的障壁がつきものであった。半月くらい前であるが、デジタル絵を描く趣味も始めたが、始める時は色々心配事が渦巻いて、描くのを躊躇していたものである。絵を描く動機として、「うまく描きたい!」という思いがあるのだが、「描いて本当にうまくなるのか」「デジタル絵を書くためにペンタブや液タブがあったほうが良いが、出費は大丈夫か」という懸念があった。最終的には「失敗しても大事になるわけではない。やってみなきゃ何も始まらない」という思考によって、障壁を乗り越えた。

 まず始める、そして経験し、自らの成長のための糧としてく。想定外のことも自分の成長のため、学びのためと思えば怖くない。このような思いを持って日々過ごしていく内に、最近は挑戦することへの心理的障壁をあまり感じなくなってきた。成長するための良い兆しである。

 

情熱の拡散か集中か、やりたいようにやる

一方、趣味がマルチになってくると、時々一つのことに没頭したいと思うことがある。情熱を色んなことに拡散するのではなく、一点に集中させたいと思うことがある。そういうときは思う存分、気が済むまでそのことに情熱を注ぎたい。途中でバテてしまったら、途中で休めば良い。やめたくなったら、やめればよい。好きなことを好きなようにやる、これに尽きる。

 

挑戦し経験していく過程での学び

ただむやみやたらに挑戦するのではない。挑戦するのは、失敗を重ね経験を重ねて、多くを学び取るためである。何か問題にぶつかったときには、それを解決するべく、考え抜くのだ。例えば、僕はこうしてブログを書いているが、文章をスラスラと書けないという問題にぶつかっている。どうしたら文章をスラスラと書けるようになるのか?まず思いついた解決策としては、「自分の言葉」を持つ訓練をする、ということである。具体的には、昨日も書いたことであるが、まず自分の内なる声に耳を傾ける。この声を書き言葉にして、アウトプットする。できれば考えを発信する。読者が読む想定で書く訓練を積めば、文章も整理され洗練されてくる。日々訓練をしていく過程で、また新たな問題に当たることもあるであろう。その時にはまた問題を解決していくために考える。

 深い学びを得るためには、トライアンドエラーを絶えず繰り返すことが肝であると心に刻む。