自分にとって「主体的」とは何か、考えてみよう。
今日の感謝すること。
・「いい人」をいまだやめられていない自分に気がつけていること。(些細なことだが)デパートの通路で店頭販売しているがっつき系の人に商品を推し勧められて、なかなかうまく突き放せないでいる自分がいた。こんな時どう対応すればよかっただろうか。「結構です」ときっぱり突き放す感じで言えばよいのだろうか。なかなか割り切れないでいる自分がいる。
・音ゲーのランキングを見て嫉妬を覚えてしまったことに気がついていることに感謝である。他人と比較すると、楽しいものも楽しくなくなってしまう。何のために音ゲーをするのかというと、楽しむためだ。他人と比較せず、昨日の自分と比較して、自分の成長を楽しもう。
・バランスの取れた行動を取れていることに感謝である。「研究やりすぎかな」と思ったときには、席を立って外に出て気分転換し、「論文読み過ぎかな」と思ったときにも席を立って移動でき、「ピアノ弾きすぎかな」と思ったときには一旦休憩を挟むことができている。何事もバランスが大事と思っている。
自分は主体的でありたいと思いつつ、主体的に行動できているかと自分を振り返って、あまり主体的に行動できていない気がする。
主体的とはどういうことだろうか。
やりたいことに積極的に絡んでいくことだろうか。
「やりたい」と思ったときに、どの程度の本気度かを気にしている。
「(ちょっと)やりたい」と思う程度であれば、主体的(?)に行動しても、すぐに萎えてしまうように思える。
普段からやっていることに対して、極める意識を持つことが「主体的」なのだろうか。
この場合自分が「やりたい」と強く思って継続してやっているので、ある意味で主体的であると思う。
自分にとって「主体的」とは何か、考えてみよう。