嫌な人の嫌な部分を見るのはなぜか。
今日の良かったこと。
・音ゲーとピアノの練習をできた。今日は気分が乗らなかったためか、うまく音ゲーをプレイできなかった気がする。過剰な練習に注意。
・買い物と外食をできたこと。久しぶりに食べらレバニラ炒めがうまかった。コロナ疲れがあるためか、どことなく店員さんたちの元気がないように見えた。これからどんどんすべてが回復してくれるといいな。
・読書できたこと。いつもデジタル機器ばかり使っていて脳が疲弊している気がして、動画を見る気が起きなかった。音ゲーのプレイがあまり乗らなかったのも脳疲労のせいかもしれない。
くよくよすることが癖になっている。
仕事で、自分が嫌だと思っている人と一緒に仕事をしているところを想像して、嫌だなあとくよくよしてしまう自分がいる。
そしてそのくよくよでストレスを溜め込んでしまっている自分がいる。
ゆうきゆうさん、ソウさんの漫画で読んだが、くよくよすることも依存症の一種らしい。
嫌だと思う人は、嫌な部分に着目するから嫌だと思うのだろう。
いいところを見ることで、嫌だと思わなくなるはずだ。
どうしたら嫌だと思っている人のいい部分に目を向けられるようになるだろうか。
(こちらが嫌いでいると、関係を改善できるものも、難しくなってしまうとわかっている。)
抵抗があっても、嫌な人の部分のいいところを見るようにするか。
いっその事嫌な人の嫌だと思うところを書き連ねていって、以外に嫌な部分が少ないことに気がつくようにすると良いかもしれない。
その後にその人のいい部分に着目していく。
嫌だと思う人はなぜ嫌だと思うかと言うと、その嫌だと思う人に僕の悪い部分を延々と指摘されたことが過去にあるからである。
そのことを思い出してはくよくよしているのが今の状況だ。
返報性の原理により、僕自身もその人の嫌な部分を抗えず探してしまうのだろう。
「嫌な人の嫌な部分を見るのは、仕返しをしようとしているんだ」と気がつくことがまず必要なのかもしれない。