人と対等であろう
人と対等に話せないことに悶々としている。
先輩や上司が、自分に上から目線で話してくるのはわからなくもないし、仕事や生活態度について自分にアレヤコレヤ言ってくるのもわからなくもない。
(先輩や上司はなんやかや言ってくるが、自分は仕事はきちんとしているし、生活態度も悪くないと思っている)
しかしもっと個人的なことに対して口出ししてくるのは意味がわからないと自分は思っている。
「爪が長いんじゃないか。切ったほうがいいんじゃないか。伸ばしているの?」
(よほど爪が長いならわかるし、接客業やミーティングが多い職業なら爪を切るのも必要だと思うが、言われるほどではなかった思う。)
「先輩はお昼◯◯で食べますか?」
「オレは◯◯で食べる。お昼に何を食べようと君次第だ。」
(どこで食べるか聞いているだけなのに、まるで自分が先輩と一緒の行動を取りたがって依存しているかのように解釈されて返事された(ように自分には見えた)ことにイラッとした。)
(これ以上はノートに書くようにしよう。不幸アピールや先輩・上司を攻撃したいのではない。自分の気持ちを整理したいのだ。)
自分は自分が思ったことをその場で押し込めてしまうために、後々になって悶々としてしまうことがある。
定期的に、人に言われてイラッとしたことについて、自分の気持ちを見直してみよう。
イラッとするのはなぜかというと、自分が無意識的に、ある理想像にしがみついているからだと、本で読んだ。
自分がしがみついている理想像と、現実とのギャップに、自分は苦しんでいるのかもしれない。
自分は本当は「人と気持ちよく話したい」 「対等でありたい」と思っているのではないか。
これらの理想像と現実とのギャップを見て、苦悩しているのではないか。
いつでも誰とでも人と気持ちよく話すことは、目指すことはできるが完璧に実現するのは不可能であると認識しよう。
対等である(アドラー心理学でも「人間は対等である」と説かれていた)ために、自分は不必要にへりくだった態度をしないようにしよう。
相手が上から目線で話してくると、つい自分は引けを感じて相手のペースに呑まれてしまう。
自分軸を持って、相手が上司や先輩だからといって、過度に自分を見失わないようにしよう。
はじめは先輩や上司に「生意気だ」「何て傲慢なんだ」「調子乗ってんのか」と思われるかもしれないが、そのまま思わせておいて、自分は自分を見失わないようにしよう。