日々の生活や仕事を振り返る
再度日常にマンネリを感じてきてしまっている。
毎日同じ時間割だと、流石に飽きもするのだと、身をもって分かった。
しかしそれでも1ヶ月程度は継続することができている。
毎日の継続は大切なのだとは分かっているが、度をすぎると、「やること」自体が目的のようになってしまって、逆に身にならないのだと思う。
継続するにしても、初心を忘れないようにしていきたいものだ。
「今日も仕事だー」と思って、仕事をするのは良いのだが、きちんと前進できているのか?と日々自分に問いかけていきたいものだ。
仕事している気分に浸るだけで、実は前進していないと思うときもある。
そんな時は、一度その仕事から距離を置いてみるのも必要なのであろう。
一度冷静になって、前進できていない理由はなぜか、じっくり考えるようにしていこう。
自分は前進できているのか?
ここ数日ノートに書いたことを見返してみると、似たような作業的仕事を繰り返しているようだ。
これによって前進できていない気持ちになっているのであろう。
少し異なった指向の別の仕事を先にやることで、マンネリ化を防ぐことができそうだ。
前進できていないと思っているだけで、非効率ではあるが徐々に前進できている可能性もある。
実際日々の仕事で、小さなスキルを気づかない内に身につけていることもある。
例えば、プログラミングで今まで見たことの無いエラーが出たときに、その対処方法を知らず知らずに身につけているといった具合である。
以上のように、自分の日々の生活、特に仕事を振り返って、前進できているかどうか、時々見直すようにしていきたい。
スーパーでの食材選びから見える自分の選択力
食材を買いにスーパーに行ったときに、多数の選択肢があると決められなくなって、結局いつもの選択をするという選択パラドックスに嵌った。
自炊や外食でのマンネリ化が激しく、いつもと大きく異なる食材を買おうと思って、食品を選んでいた。
しかし、陳列棚の商品が多すぎて、10分20分掛けて考えた結果、いつもの野菜や肉を買うことになった。
選択パラドックスという知識はあるものの、いざ実際に多数の選択肢があった場合に、とっさに決めることができない自分を認識した。
自分は優柔不断なのだと思う。では、どうすればこの優柔不断を克服していけるだろうか。
選択の仕方を変えていけば、克服していけるかもしれない。
多すぎる選択肢がある場合には、条件をまず絞ることが良いであろう。
冷凍食品を買う例を考えるならば、どんな食品を買うかまず絞る。(例えばアジア料理の食品など)
その上で、更に細かい条件を設定して、買うものを絞っていこう。
米料理がいいのか、麺料理がいいのか、想像しつつ、これだと決めたら、そこから後戻りしないようにする。
こんな感じで、選択力を高めて優柔不断を克服していくことができそうだ。
優柔不断を克服するには、自分の選択に満足する、サティスファイザー的思考をしていく訓練も必要なのだと思う。
一度決めたあとに、「やっぱあっちの方がよかったかな」といった思考をしてしまいがちな自分。
マキシマイザー的思考のために、常に「最高の選択」をしようと試行錯誤してしまうのである。
「最高の選択」は存在しないものなのだと認識して、自分の選択に満足していこう。
選択術についての本を読んだ
DaiGoさんの選択術についての本を読んだ。
この本もまた、自己の成長を促していくための知識が満載であった。
まず、選択スタイルと、マキシマイザーとサティスファイザーの話。
合理的な選択スタイルで、サティスファイザーであれば、満足感のあるストレスのない人生を送れるのだといった内容の話。
日常あまり気にしていないことだったので、勉強になった。
自分が日々の選択をしていく際にはこの話を思い出していきたい。
感情の粒度を高めて自分の思いをはっきりさせていくことで、衝動的な行動や選択をしてしまうことを防ぐことができるといった内容の話も興味深かった。
感情の粒度を高めていくにはどうしたらよいだろう。
自分ですぐに思いついたのは、小説をたくさん読んで、いろんな表現法に触れること。
日常的に小説を読むようにしていこう。
1日再構成法の話のところで、日々の行動・選択における「期待」「やりがい」「快楽」を数値化するという話もためになった。
毎日実行していけば、自分が毎日の選択で納得できているのかどうかをはっきりさせることができて、選択力を上げることができそうだ。
自己効力感も高まって、自身をつけるのに良さそうだ。
貧困や時間の欠乏が選択力の低下に繋がってしまうということは、意識したことがなかった。
自分は焦り症で、時間の欠乏を感じやすいので、そんな時には選択力が下がってしまっているのかもしれない。
焦っている時には重要な選択をしないように注意していきたい。
かつ、瞑想をしたりして、心を落ち着けて、選択力を回復させていきたい。
多少緩みを持ったスケジュールを。
根を詰めすぎないようにしていこう。
毎日全く同じ時間割で、同じ行動(読書や研究など)を取っていると、次第にその行動からずれたことをすることに抵抗を感じるようになってしまう。
DaiGoさんの本にも書いてあったように、チートデイを考慮したり、失敗を計画の内に入れたりする方が良いのであろう。
何も予定がない時間をスケジュールに入れておくのも良いであろう。
そちらの方が、今まで自分が考えていなかったことをする余地ができて、自分の成長に繋がるのであろう。
自分が納得できる時間管理術をしつつも、張り切りすぎて、燃え尽きて、「どうにでもなれ!」とならないように、適度にスケジュールに緩みを持たせていきたいものだ。
高額出費に気をもんでしまう
人生経験を積むためには出費を惜しまないようにしたいものである。
これまでの人生では、とかく高額の出費があるごとに気をもんでしまっていた。
必要のない自費での出張(義務でなく人生経験も積めない出張)に行かないと決断したときには、同僚から「出費を気にしていかないんだ」と思われているのではないかと気をもんだりもした(この場合は最優先すべき仕事に使う時間を気にしていたりする)。
兄弟姉妹が結婚することになって、参加するとなったときにはどうであろう。
この場合は遠方からでも参加したほうが良いと考えている。
たとえ旅費が高額になっても参加したほうが良いと考える。
この場合でも、これまでの自分の性のためか、旅費が気になるところである。
自分で納得できる形で、旅費の計画を立てていこう。
自分の内面活動をコントロールしようとしない
あることに思考が囚われて、抜け出せなくなってしまうことがある。
自分の容姿を気にしだしたら、そのことに気を取られてしまったりする。
嫌な人のことを考えて、非社会的な行動をしてしまう妄想にとらわれてしまう。
どうすればこのような囚われから解放されるであろうか?
自分の内面では、「異常」と捉えていることを「治そう(直そう)」としているのではないだろうか。
自分の心的活動を、コントロールできるものだと考えてしまっているのではないだろうか。
自分の容姿を気にしてしまうのは、今の自分の容姿を「異常」と考え、理想の状態とのギャップを意識してしまっているからなのだろう。
嫌な人のことを考えて苦悶するのは、嫌な人のことが頭に浮かんでくることを「異常」と捉えてその考えを消そうと必死になってしまっているからなのだろう。
内面に浮かんでくる思考はコントロールできないものなのだと認識して、浮かんでくる思考を「あるがまま」にしておくのが良かろう。
無理に自分の内面活動に介入しなければ、浮かんできた思考は流れるように消えていくだろう。
深く考えても自分ではコントロールできないことは、そっとしておこう。
そんな気分である今日このごろである。
外部からの用事が入ってきて心理的リアクタンスを感じた時には森田療法を
外部から入ってくる緊急の用事にも、柔軟に対応できるようになりたい。
現在自分は自分の時間割を守ろうと必死になっている心境で、外部からの用事を極力避けたいと考えてしまっている。
重要でないことならば避けてよいのだが、重要な用事であるならばそうはいかない。
どうしたら心理的に柔軟に対応できるのだろうか。
森田療法的な考え方を持つと良いのではなかろうかと思う。
つまり、自己実現に向かって進んでいるときに何かしら不安や恐怖が生じても、無理にその感情を消そうとするのではなく、その感覚を「あるがまま」受け入れるようにする。
すると、自然とそれらの感情が消えていくことが期待される。
外からの用事が入ってきて、自身の行動を変えようとする時、心理的リアクタンスを感じる時に、その心理的リアクタンスを「あるがまま」受け入れていくようにしよう。