「だれとも会いたくない」と思ってしまうことについて
脳内が暇になり次第、「だれとも会いたくない」と思い浮かべてしまうほど、厭世的になっている自分がいる。
なぜ「だれとも会いたくない」と思い浮かべてしまうのだろうか。
過去の人間関係での失敗体験が積み重なった結果、脳にそのイメージが染み付いてしまって、結果人を避けたいと思い浮かべるようになってしまっているのだと思う。
人間関係において、自分に自信がないのも原因だろう。
(容易に人に振り回されたりしてしまう自分に自己嫌悪を覚えたりなど。)
できることなら人と仲良くなってうまくやっていけたら、それに越したことはないとは思う。
が、なにせ人とうまくいかない体験ばかりが多く、そのイメージが強くなってしまっていて、人との関わりが恐くなってしまっている(対人恐怖症か)。
確か脳の扁桃体が恐怖の感情を生じさせる部位であったと思うが、この部位が「人は恐くない」ものだと思うようにさせることが、対人恐怖症を治すのに必要なのだと思う。
どうすれば「人は恐くない」と脳が認識するようになれるだろうか。
まずは日頃「人と会いたくない」と思うことをやめることから始めたい。
なぜなら「人と会いたくない」と思うことによって扁桃体を活性化させて、その「人と会いたくない」という認識を強化させてしまうだろうから。
「人と会いたくない」と思うことをやめるにはどうするか?
人と会うことによるメリットを考えてみると良いだろう。
その会おうとしている人の気持ちを思い浮かべてみて、相手が何を求めているのかだとか、考えてみるのも良い。
会おうとしている人と、過去に何かあったとしても、そのことを思い出さないようにすることも効果的だと思う。
「人と会いたくない」という思いをなくして解消していきたい。
「負」の感情について
「負」の感情について思っていること。
怒ることは思考を停止することだと思っている。
自分が何かに怒る時は、物事の一面的な部分しか見ていないことが、冷静になった後気づかれる。
「あの人はああいう人だ」と思ってしまうときがあるが、その場合その人の別の良い面を見落としていたり、「ああいう人」と思ってしまうきっかけとなった事象の背景や原因を見落としていたりする。
冷静になって思考を動かしていくと、「あの人はああいう人だ」と思ったことが早とちりだったことに気付かされる。
「あの人」の性格が嫌いと感じてしまうこともある。
しかしこれも、「あの人」の性格を形成した過去の環境(例えば家庭など)を慮ってみると、「あの人」に否があるわけではないことに気付かされる。
最近は、これらのような「負」の感情は、自ら引き起こしていることなのだと考えるようになった。
物事を多面的に見るようにすれば、これらのような「負」の感情は生じなくなると信じている。
目標の明文化や、時間割通りに動くことの継続について
時間制限を設けて仕事をすることも必要であるが、(よく言われているが)その上目標を設定することも、仕事を遂行していく上で大切だと思う。
「この仕事は今週までにここまで完了させる」
「この教科書は今週中に読み終える」
「この書類は今日中に片付ける」
といった、細かい目標を設けていくようにしたいと思っている。
頭では目標を設定したつもりでも、作業中に目標が頭から抜けるということが間々ある。
目標を見失わないように、目標を明文化したり可視化したりして、常に目に見えるところに置いておきたいものである。(と言いつつ実行できていないことは反省点である)
昨日から引き続き時間割通りに動くことができた。
回数を重ねていく内に、「自分はできるんだ」と思って自信もついていくのだろう。
そう信じている。
PDCAサイクル的に、毎日作業の振り返りをして、どうしたらもっと良くしていけるだろうかと考えるようにしていきたい。
時間管理について
時間管理がなっていなかったので、時間割を作ることにした。
今朝に1週間分の時間割を作り、今日はその時間割通りの生活をした。
具体的には、Googleカレンダーに、1時間ごとの予定(読書、研究、料理など)を書き込んでいった。
間に基本15分の休憩時間を設けた。
感想。
まだ1日だけだが、明らかに引き締まった生活をすることができた。
昨日までは、時間ごとにすることが決まっていなかったので、一つのことに従事して(読書など)、飽きてきたら「次何しよう・・・」といったように過ごしていた。
この「次何しよう・・・」の時間に感じる虚無感が、1日をぼんやりしたものにしていたのだと気がついた。
一つのことに飽きた後に何をするのか、決まっているのって大切なんだなあと思った。
1時間と時間制限を設けたことも良かったのだと思う。
昨日までは、読書だったら読書に飽きるまで続けてしまう日々を過ごしていた。
一つのことに飽きても、グダグダに惰性で続けてしまうということも間々あった。
しかし今日は1時間と決めてことに従事していったので、飽きが来る前に従事していることを止めることができた。
結果、1日を、「飽きた」という感覚を味わわずに過ごすことができた。
1時間なにかしたら、その次の(休憩を挟んでの)1時間は全く別のことをするようにしたことも、飽き防止に良かったと思っている。
時間管理として、Googleカレンダーで時間割を作った他に、Togglというアプリを使うようにした。
このアプリでは、作業をする時にタイマーをオンにして、作業を終える時にタイマーをオフにすることで、何にどれだけ時間を使ったか記録することができる。
自分が消費した時間を可視化することができるのである。
これによって、達成感を感じることができるし、モチベーションのアップにもなるだろうと期待している。
Googleカレンダーによる時間割とTogglを駆使して、引き締めた生活をしていこう。
アニメの見過ぎと時間管理
休みにアニメをたくさん見てしまう。
たまにならば、それも良いが、この見すぎを癖にしないように気をつけていきたいと思っている。
Q: どうしたら見すぎを防止できるか?
A: 見すぎている自分をメタ認知する。
アニメを見すぎているという自分をまず客観的に認知する。
ノートに何のアニメをどれだけ見たかを記録すると、見すぎている自分を認知しやすくなる。
ノートによると、今日はアニメ1クール分の量を見た。
1話が24分程度とすると、約5時間をアニメ視聴に費やしたことになる。
一日の活動時間を17時間(睡眠時間7時間)とすると、その他に使える時間は12時間である。
自炊時間がトータル2時間とすると、残りは10時間。
この時間が、本日の他の活動(仕事や読書や運動などの趣味)に使える時間である。
僕はこの残り時間を上手に使うことができていただろうか?
否。
休日の時間の使い方も、きっちりすることで、平日の仕事もうまくいくようになるのだろうと思っているが、なかなかうまく実行することができていないと感じている。
しっかりやることの棚卸しをして、時間をうまく使っていけるようにしたい。
(話題がまたそれてしまった。)
参考記事。
何かに夢中になりたい
なにか一つのことに夢中になることが最近ない。
大きく感情を湧き起こさせるものにならば、夢中になれるのではないか。
感動する物語を読んだり見たりしたい。
「夢中体験」を一度すれば、アンニュイな日常生活もしばらく活き活きしていくのではないか?
そんなことを思っている今日このごろである。
直近では「四月は君の嘘」のアニメを見ている。
ピアノを弾けなくなっていた中学3年生の主人公の公生が、かおりと出会ってからピアノを弾くようになるお話である(雑ですみません)。
8話まで見たが、ピアノコンクールでのライバルたちの演奏が熱く、見ていて夢中になった。
このあとの展開も楽しみである。