条件付きの愛情と無条件の愛情
条件付きの愛情について。
僕は人をうまく愛せなかったり、愛されないのではと不安になったり、少し突き放されたり無視されたりしただけですぐ傷ついてしまう傾向があると自分で思っている。これは、子供の頃に条件付きでしか親から愛されなかったことがパターン化されて尾を引いているのでは、と最近思うようになった。
過去は今の自分のあり方に関係ない、だからまた新たに一歩を踏み出していけば良いとは頭で理解している。しかしながら、条件付きの愛情を受けてきた習慣は「なくそう!」と思ってすぐにどうのこうのできるものではないとも最近分かってきた。やはり人と話すときにも、「受け入れられないのでは」と不安になったりする思考パターンが出てきてしまう。
少しずつで良いから、その様な思考のパターンを改めていけたらなあと思う。「無条件に相手を受け入れる」(言いなりになるのではない)という姿勢も、無条件の愛情を得るためには必要なのかもしれない。
脳をまんべんなく使って鍛えたい
脳をまんべんなく使うにはどうしたらよいかと思って、ネット検索していたところ、以下のサイトを見つけた。
最近はずっと読書ばかりしていて、読書に飽きつつあると感じている。「飽きる」というのは、どうもずっと脳の特定の場所ばかりを使うことによって生じるもののようだ。おそらく読書だと、この記事で言うインプットに関わる脳が優位に使われるのだと考える。特に「記憶系」「視覚系」「理解系」「感情系」が重点的に使われるのではなかろうか。これらの部分が疲れてくると、「飽きた」と感じてしまうのであろう。
読書でも、考えながら読めば「思考系」もある程度使われるかもしれない。さらに音読をすることによって、「伝達系」、「運動系」(口を動かす)、「聴覚系」もそれなりに使われるかもしれない。しかし「使われる」と言っても、人とコミュニケーションするときと音読する時では、脳の使われ方に違いがある気がする(感覚的ではあるが)。
結局は、色んなことを毎日するようにして、これらの8つの脳番地をまんべんなく使っていくことが、脳を鍛えていくために必要なのだと思う。苦手なことは避けてしまいがちであるが、「普段使っていない脳を使うんだ」という意識を持てば、トライしていけそうだ。
読書ブログは良いと思う
読書ブログというものに興味が湧いてきている。読書をじゃんじゃんしている今日このごろ、より質の高い読書をするにはどうしたらよいか?と考えたときに、ブログで内容についてアウトプットすることが考えられた。
具体的に実践している人は、と思って、ネットで検索してみた。以下の記事に興味を持った。
共感。
「目的意識を持って読書」、「はじめに疑問を持って意識して読む」、このあたりを実践していけたらいいなと思う。僕の場合、読書中に文をマークしたり、感想を書いたりはするが、現状1冊に対してあまりに軽く感想を書いている気がしてならない。あまり木を張りすぎてもバテてしまうが、もう少し本の知識を定着させる工夫として、読書ブログは良いのではないかと思う次第である。
再度抑うつ的気分になったので思っていることを書き出す
ここ数日は再度抑うつ的な気持ちが続いている。自身のブログを見返してみて、以前にも抑うつ的な気分になった時期があったことに気がつく。
knowledge-pioneer.hatenablog.com
極力ネガティブなことは書かないと心に決めているのだが、人間そうもうまくいかないようである。ポジティブシンキングをしようしようと思っても、どうにもうまくいかないことがあるようだ。
ブログを書きたい書きたいと思ってはいる一方、こんな気持ではダメだと、ブログを書くのを抑えていたら、余計に抑うつ的な気持ちが募ってくることに気がついた。ブログを書くと気持ちが落ち着いてくることを無意識的に知っていたから、書きたい書きたいと思っていたのであろう。そんな気持ちを開放するべく、今僕はブログを書いている。自分の思っていることを書いている。
こんなしょうもないことを書いていても、気持ちは落ち着いてくるものなんだと知った。日記も書いてはいたのだが、どうも一人でやるとなると、虚しくなってきて続かなくなってしまっているようだ。「誰かに見られている」という感覚が欲しいのだと思う。そうしたほうが、書く気持ちも湧いてきて、続けられる気がするのである。
思っていることはできるだけ抑え込まずに、どんどん書いていこう。
自分で考える読書をしていきたい
読書をすると色んなメリットがあると言われている。知識が増えたり視野が広まったりということが代表的なメリットであろう。しかしメリットに目がくらんでしまって、デメリットに盲目になってしまわないように気をつけたいと考える今日このごろである。
僕が注意したい読書のデメリットというのは、読書ばかりになってしまって自分で考える時間が減り、アウトプットが少なくなってしまう、というデメリットである。意識的に読書から離れて自分の時間を確保しないと、自分を見失ってしまいかねないと考えている。
読書はその筆者と会って話すことに似ているという話を聞いたことがあるが、仮に対比をしたときに、どっちにもメリット・デメリットがあると考える。僕が考えたそれぞれのメリット、デメリットは、
人との会話
メリット
読書
メリット
日記で懸念ごとを書くと心が落ち着く
しばらくEvernoteで日記をつけるという習慣を続けていたのだが、どうにも文章を校正しようという意志が弱くなってしまう。書いたら書きっぱなし、というのでも、悪くはないと思うが、文章を書くのであれば、より整った文章を書く習慣を身につけていきたい。今後はブログと並行して、文章を書いていこうと思う。特に、「これ発信したいな」と思うようなことをブログで書いていこうかなと思う次第である。
日記を書くと、やはり心が落ち着くと感じる。不安事・心配事・悩みなど、人に打ち明けにくいことは、書き下ろして内容を整理していくことで心も整っていくものだ。
最近の心配事といえば、以前から続いているGの出現である。対策をいろいろ考えて入るが、効果は薄い。コンバットを置きまくったり、殺虫剤を玄関付近に撒いたりしているが、出現してしまうものはしてしまう。部屋の湿気をとったり、冷房を強く掛けて部屋を冷やすことも試みたが、効果薄。部屋の掃除をもっと徹底的にやるべきであろうか。
もともとアパートにGが多いことと、部屋の隙間を塞ぐことに限界があること、動かせない電化製品(備え付け冷蔵庫・オーブン)があることがG撲滅の足かせとなっていると思っている。しかしながら隙間を無理に徹底的に塞いだり、動かせないものを動かすという気力は自分にはないため、半ば多少のGを受け入れる方針に転換している。
読書は影響されたいと思ったものを読んでいこう
読書をすることは、その筆者と出会って話すのと似た効果があるとされている。
この事実と、人は周囲の人間10人を足して人数で割ったような性質の人間になるという話を取り入れて考える。すると、読む本は自分にとって影響されたいと思うような本を選ぶようにしたほうが良いと考える。
仮にずっと人と会わずに、本だけ読む、という生活をするとする。ネガティブな本ばかり読んでいてはネガティブな人間になってしまうであろう。逆に、ポジティブなことが書いてある本をたくさん読めば、自分がよっぽど頑固でなければポジティブな思考をする自分を手に入れられると考えられる。